人生を語れるほど生きてはいないが、私たちは高等な知能を持つヒトとして生活を営んでいると「選択」に迫られる事が人生の中で何度もある。
先日リクルートから膨大な量の就職情報誌が届いた。まったく日本中にどれほど企業が存在するのか知らされた次第である。当然の事だが、私たちが就職する事が出来るのはその中で一社だけだ。あの中からその一社を選択する事は容易い事ではない。 「自己分析をしろ!自分を知らないで自分に合った企業を見つける事は出来ないぞ!企業研究をしろ!企業を知らないで企業を選択する事なんて出来ないぞ!」
私に言わせれば、そんな事はあえて他人から言及されるべきことではない。「ジーパンの上からパンツを履くな」といわれているのと同じである。
そうは言っても、自分を知るとはどういう事か。エラそうな口を学生にばらまいている当事者達だって「自分」を知っているのか。自分が本当にやりたい事、自分が本当に好きな事、嫌いな事、それは環境に流されやすくて随時変化し、その本来の姿を見せる事はない。 私たちの生活の中には実に多くのメディアが混入し、人の好みも多様化、自由化してきている。生まれた頃からテレビというビジョンが存在する中で当たり前に生活してきた我々には「頭の中で想像し具象化する」機会が少なかった。自分の事まで人に指図されないと自分が見えてこないのは現代の風土病だ。
いざ、「この中から選びなさい」と言われると、その数に圧倒され困惑し、ついつい選択を怠ってしまう。選べるものが有るとドウシテモその量に甘えてしまうから・・・。 ところで、「ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ」だったら私は「ウンコ味のカレー」を選択する。ウンコを食べるよりはカレーを食べたほうがからだにもいいし、ウンコを食べないでウンコの味を知る事が出来てお得だと思うし。 |